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院長挨拶 

患者様に愛される歯科医院を目指して 丸尾歯科院長 丸尾 傳

愛媛県松山市天山の丸尾歯科です。 私たちは、丸尾歯科をこんな歯科医院にしたいと思っております。

●良い歯、良い歯並び、健康な体と良い生活習慣を育み、治すだけでなく予防と再発防止を重視した治療を行う
●一人ひとりが医院のすべてに、当事者意識を持ち、仕事を通してスタッフの能力向上を計る
●誰にとっても、気持ちの良い医院を創り、すべての協力者に感謝の心を忘れない


歯科治療と言えば、「痛い」「怖い」「行きたくない」というイメージが強いと思いますが、私たちは、そうしたイメージの医院でなく、患者さまが楽しく喜んで行きたくなる、予防を中心とした歯科医院にしたいと考えています。
私たちはもう、あなたの歯を削りたくないのです! また、患者さまとのコミュニケーションを大切にした、笑顔や笑いの絶えない、そんな歯科医院を目指します。
ご自身の歯を健康に保つことにより、お口の機能を回復・向上させ、皆さまの人生がより豊かで素晴らしくなるお手伝いをさせて頂きたいと考えております。

 

院長紹介 丸尾 傳

血液型:A型

趣味:家庭菜園、テニス、ダイビング、釣り、アウトドア

特技:手早くまめに動く。

メッセージ:どんな事でも、口でお悩みの方は一度ご相談下さい。きっと良い解決方法をアドバイスできると思います。

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丸尾 傳 過去から現在までを語る

子供の頃

・ 小学生の頃から学年で1~2番を競う背の高さで、6年の時に履いていた28cmの上靴は特製で職員室に入る時に必ず頭を下げてから入ってくる礼儀正しい子 供だと担任の先生に褒められたものでした。(勿論鴨居に頭をぶつけない為)

・ 背も高かったけど運動も得意で走るのも早く、運動会やマラソンではいつもトップクラスでした。体もしっかりしていて力も強く、村の相撲大会ではいつも優勝して相撲部屋へ来ないか?と勧誘があった程でした。・そんな身体に似合わず意外と手先が器用で野山で(今の様にゲームのなかった当時遊びでのフィールドは野山でした)小刀を使って様々なおもちゃや道具を作って遊ぶ活発な子供でした。また動物が大好きで、虫から魚、鳥など色々な生き物を飼育して子供の頃の夢は動物園の園長さんになる事でした。


父のこと

・ 家はミカン農家で次男として生まれました。母には子供の頃から「長男と違って家を出て自分で生きていかなければいけないのだから…」と自立して生きることを諭されました。進学や事ある毎に自立していける様に自分の将来を考えるのは、母の口癖の為でしょう。

・ 父は、躾にとても厳しく「脱いだ靴は揃える!」「靴のかかとは踏まない!」「学生服の襟のフックは止める!」「机に肘をつかない!」「弱い者いじめはするな!」、特に「人様に迷惑のかかる様な事は絶対にするな!!」と厳しい人でした。そんな父でしたが子供の頃から一緒に魚釣りに行き、舟の操船、海の楽しさや怖さを教わりました。今でも魚が大好きで、海で泳ぐのはもちろん、釣りやダイビングなどの海遊びに興じるのはこの頃の父の影響でしょう。

高校時代

・ 運動や走りの得意だった私は、陸上部に入部したものの厳しい練習と記録が伸びずに悩んでいました。そんな時、背が高く中学時代はバレーボール部でエースを務めていた私に目を付けたのがバレーボール部の顧問でした。「何としても部に入って欲しい」と家にまで来て勧誘してくれました。しかし父は「男が一度始めた事を一年も経たず止めるのはダメだ」と断固として許してくれずに、結局3年間陸上を続ける事になりました。

・ そんな学生時代も終わる頃、初対面が苦手の人見知り、生き物が好きで理科系が得意、そして手先が器用、こんな私を生かせる職業はと考えて歯科医の道を選びました。あまりにも実家の職業と違う道を選択した私に両親は驚きました。歯学部に行くにはどんなに費用がかかるか、親戚に歯科医などいない両親にとっては、先々の適性も含めて相当に心配したと思います。しかし、「必ずやり通します。行かせて下さい」の一言に父は黙って頷いてくれました。厳しい父でしたが、私の志を理解してくれたのだとその時の事を今でも感謝しています。


浪人時代

・ 特別な進学校でもない普通の高校でクラブ活動に明け暮れて過ごした3年間でしたから、志を立てたからといって、すんなり志望校に進学できる程世の中は甘く ありませんでした。

・ 経済的にも親に負担をかけたくなかった私は自宅浪人を決めてそれまでほとんど真剣に取り組んでこなかった受験勉強に手探りで取り組みました。先の見えない 精神的にも不安な一年間でしたが、この時程真剣に勉強した事はありませんでした。この時の先の見えない辛い状態で、自分の信じるものを求めて頑張れた自信 が、今でも苦しさを乗り越えるバネになっていると思います。 元々目の良かった私の視力は浪人の間に2.0から0.4に落ちていました。それだけに志望校に合格した喜びはひとしおでした。

大学時代

・ 大学は、ほとんどが好きな理科系の科目でしたし、皆の嫌がる実習も私にとっては、手先の器用さを生かせる得意科目でした。実習作業を手早くこなせたことで皆に頼りにされるようになり、学年委員に選ばれたりと勉学においては、浪人時代と違ってあまり苦労しない学生時代でした。

・ 大学に入ったらラグビーをやる、私の足と体力が生かせる男のスポーツだと心に決めていましたが、歯学部にはラグビー部はなく、がっかりしてキャンパスを歩く背の高い私に目を付けてきたのは、またもやバレーボール部でした。そして入部したバレーボール部の活動に専らエネルギーを注ぎました。入部当時、全国大会で最下位のチームを卒業の年には優勝に導くことができました。ちょっと自慢になりますがバレーボールが盛んだった当時、他の歯科大の選手から愛知の大古(当時全日本のエーススパイカー)とニックネームされ、他校から最もマークされたエーススパイカーでした。入部1年目の全国大会は連戦連敗で1勝も上げられず最下位になり、閉会式後に体育館の隅で流した悔し涙と、6年の時に全国大会で優勝して飲んだ美酒は今でも忘れられない思い出です。

・6年間、家族や仲間に支えられ迎えることができた大学卒業の日、皆の実習のお手本となったり、学年委員をさせて頂いたお蔭でしょうか「臨床実習優秀賞」を戴きました。その時、式に参列していた父に学年主任の教授が「優秀なご子息を持たれましたね」と言葉をかけて下さいました事が、今まで黙って勝手をさせてくれた父への何よりの恩返しになったと思っています。

勤務医時代

・ 卒業後は病院に勤務しながら週に一度母校の口腔外科の研究生として在籍しましたが、熱心に研究するというよりその頃覚えたテニスにのめり込み、次第に外科 の教室からも遠ざかり卒業後3年経った頃、開業準備の為に松山での勤務を決めました。

・ 給料の良い所よりしっかり勉強の出来る事を目的に日浅歯科(松山)に勤めました。ここで私の開業医としての基礎と一口腔一単位の治療という考え方を当時の院長に叩き込まれました。私の開業医としての方向を決定づける素晴らしい出会いとなり、今でも恩師の日浅院長には感謝しています。診療は、30数年前の当時としては異例の丁寧さで、一人ずつ口の中の悪い所を調べ治療計画を立てて説明し歯磨き指導を中心として全体の治療計画にのっとって処置を進めていくという、理想的な治療方針でした。

・ そしてその高いレベルの治療水準に合わすべく私は毎日翌日のカルテを持ち帰って治療計画を立て、難しい治療は調べ、次回の治療に備えてイメージトレーニングをする日々が続きました。こんな医院を私も作りたい、そういう思いで3年後天山に開業しました。


丸尾歯科を開業して

・開業当時はまだまだ虫歯治療が多く歯槽膿漏の治療や歯ブラシ指導も珍しかった頃、私も一人一人に歯磨きをお教えしながら 歯磨きを基本とした虫歯治療・歯槽膿漏治療を行い少しずつ皆様に治療の主旨を理解をして頂き、支持される患者様も増えてきました。

・ しかし5年が経ち10年経つうちに、数年ぶりにお越しになる患者さんの口の中の状態に唖然とさせられる事が多くなりました。中には完全に治したはずなのに、以前の治療の時よりさらにひどく歯槽膿漏を再発されている人。高額の治療費をかけて全体に冠を入れたのに虫歯の再発で冠をはずして再治療が必要になった人。このままではいけない。どうずれば再発しない再治療の必要ない、壊れない状態を保てるのか?様々なセミナーに参加し、講師の先生の医院に見学におしかける事もありました。

・そして得た結論は「予防」でした。まず虫歯や歯周炎にならない生活習慣を患者さんと共に築いていく。そして今ある虫歯は治したら再発させない。10年経っても20年経っても壊れなくする。そして歯槽膿漏に対しては現在の状況を改善完治したら二度と再発悪化をさせない。そのため定期クリーニングとメンテナンスを通して良い状態を患者様と共に持続していく。歯科医院は、治療(痛い所を治す)の為に訪れるところではなく、良い状態が保てている事を確認する為に通う所。そうすれば「歯医者って嫌い。いつも痛い事ばかりされる」から「いつも行くたびにすっきり。気持ちよくしてくれる所」に変わってきます。あなたもそんな夢のような一人になりませんか?

・ この考え方をより多くの人にお伝えしたい。実践していきたい。そして「お口を通して全身の健康づくりのお手伝い」がしたい。その為には食生活を含めた日常生活が語れるような「コミュニケーションを大切にした医院にしたい」「常に安全で最新の治療を提供したい」「リラックスできる怖くない歯科医院にしたい

・ まだまだ発展途上の医院ですが、お口の健康を通して豊かな人生を提供できる様日々研鑽に励む毎日です。今私たちはそれを望む意識の高い方々と共に歩んでいきたいと考えています。